お寺の紹介
宝蔵寺は正式には「竹子山千手院宝蔵寺」といい、正元元年(1258年)に願誉了浄上人により開山された、京都の知恩院を総本山とする浄土宗のお寺です。
鎌倉幕府で名執権と謳われた北条時頼公。北国巡礼の折、時頼公がこの地の草庵に宿を結んだ。――ある秋の夜、下貫の畠に積まれた稲積に秋のやわらかい月光を浴びて千手観音がお立ちになったという。
都に帰った時頼公は法然上人の弟子である願誉了浄上人に開山を命じ、以降本尊に千手観音が祀られた浄土宗としては稀有なお寺です。
以来この自然豊かな山間は稲倉と呼ばれ、宝蔵寺はこの地で760年もの間、43世に亘り宝燈を守り続けています。
浄土宗のご本尊は阿弥陀如来ですが、宝蔵寺のご本尊である千手観音はその名の示す通り千本の手で、どのような人々も救い漏らさんとします。豊かな自然と共生する一方で、その脅威に晒されてきた多くの人々のさまざまな祈りを受け止めてきました。
正徳元年(1711年)に火災に遭い本堂や多くの文化財が消失。以降100年に渡り仮本堂で宝燈を守ることとなりましたが、文政元年(1818年)庫裏を含めると起工より10年の歳月を要す大事業を経て今の本堂が再建されました。
十日町市、魚沼市、南魚沼市をはじめ、近郷近在の多くの檀徒の菩提寺として栄え、今なおその威容を本堂に残しています。
当山のおもなできごと
宝蔵寺年表
正元元年 (1259年) 北条時頼公の命により僧了浄が開山
正徳元年 (1711年) 火災により本堂や古文書など文化財のほとんどが消失
寛政12年 (1800年) 大雨による洪水で水害に見舞われる
文化 9年 (1812年) 本堂再建工事が起工される
文政元年 (1818年) 現在の本堂が再建され棟上式を行う
天保5年 (1834年) 水害対策として川廻し(背替)の大工事が行われる
安政5年 (1858年) 宗祖法然上人650年忌を祈念し鐘楼門を改築する
昭和16年 (1941年) 大戦時の国命に従い梵鐘や仏の多くが供出される
昭和55年 (1980年) 檀信徒一同より現在の梵鐘が寄贈される
平成16年 (2004年) 中越地震により倒壊危機などの被害を被る
平成29年 (2018年) 庫裏新築および本堂をバリアフリーに改築する
寺院案内の記事はこちらから
[new_list count=3 cats=89,9 type=large_thumb_on children=1 bold=1]