ご覧いただきありがとうございます。
黄金色の稲保が徐々に消え、一気に秋めいて参りました。
稲作農家のみなさま、美味しい秋を有難うございます。本当にお疲れ様でございます。
最近は晴れ間が少なく、また朝夕めっきり冷え込む日が続いております。
さて、本日はこの時期に行われる「お十夜」について学んで参ります。
「お十夜」って何?
「お十夜」というのは主にこの肌寒くなってくる時期、
つまり10月から11月にかけて修せられる浄土宗独自の法要のことをいいます。
浄土宗で大切にしているお経のひとつ『無量寿経』には、
"この世で十日十夜の善行をなせば、極楽で千年分の善行を積むことに勝る"とあります。
これだけを見ると、なんだかこの世で善行を積む方が簡単なように感じられますが、
実は全く逆の意味を指しています。それは、
「この世で十日十夜の善行を(本当に)行うことが、もし出来るなら~」というわけです。
何故ならば人は生きていれば腹も減りますし、もちろん眠くもなります。
ましてや、たった数時間だとしても、ずっと集中して善行を続けることはむずかしいでしょう。
脳科学の世界では「集中は15分しか続かない。脳は大変疲れやすい。」というのが定説で、
生身の身体と、落ち着かない心をもつわれわれ人間。明けては暮れる時の流れのなかで
十日間の善行を積むことなど、人間には到底ムリなことなのです。
だからこそ、こうして「お十夜」という法要を浄土宗では大切にしているのです。
もう少し「お十夜」について詳しく見て参りましょう。
「お十夜」の縁起
時をさかのぼること570年、永享年間(1429-1441)は室町幕府のころ――。
京都にある真如堂というお寺に、平貞国という武士がお参りにやってきました。
貞国の兄:貞経は当時幕府の執権、いうなれば総理大臣のような非常に高い地位にある方です。
血で血を洗うことが珍しくないこの時代、兄弟は仲たがいの道を選ばざるを得ませんでした。
弟:貞国はこの立身出世の厳しい競争を憂い、自ら身を引こうと決心します。
ならばと貞国は、真如堂に詣で三日三晩の神仏にお祈りしたのち、出家しようと考えたそうです。
しかし三日目の夜。貞国の夢枕に尊いお坊さんが現れて貞国にこう言いました。
「貞国よ。出家し仏に使えることで、みなを幸せにしたい気持ちはよく分かった。
しかし、他の仕事を通じて世のため人のために尽くす道も、また仏の道であろう。
ならば貞国、あなた自身の出家について、今一度見つめなおすといい。」
目覚めた貞国は、汗を握りしめた両手を見つめ、ふと枕元にあった剃刀を再び仕舞います。
するとそれから一刻ほどして、貞国の御家から驚きの知らせが入ります。
なんと兄:貞経が上意に背き隠居させられたというではありませんか。
貞国は「出家を待てと言ったのはこういうことであったか」と感じ、すぐに家督を継ぎます。
その後、執権職にまで就かれ、国や人々のために力を尽くすこととなりました。
もし、この有難いお告げが無ければ、貞国は目覚めてすぐに剃髪のうえ出家してしまい、
兄の跡こうして家督を継ぐどころか、まさに御家が断絶してしまうところであった。
※ちなみにこの貞国の娘は後北条氏として有名な戦国大名:北条早雲を後に産んでいます。
こうしてお告げを有難く頂戴した貞国は、この後、さらに7日間を加えて「十日十夜」、
仏様の前で報恩感謝の念仏(恩に報いて感謝するお念仏)を行ったという。
これが浄土宗の「お十夜」の始まりになったといわれています。
なんのために「お十夜」をやるの?
今の時代は本当に忙しい時代です。
日の出とともに起き出して、陽が沈んだら早々に床に着く、というわけには参りません。
目が覚めれば仕事に向かい、暗い中を帰ってきては、明日のためなるべく早く寝なきゃならない。
どこの家も日付が変わるくらいまでは一部屋くらい電気が煌々とついていることでしょう。
テレビやスマホの画面が消えることはなく、年々睡眠時間も短くなってきているそうです。
やらなきゃならないことから、やりたいことまで、時間は本当にどれだけあっても足りません。
ですから、十日十夜どころか、毎朝の仏壇参りすら出来なくても全く不思議ではありません。
それだけ時間の使い方と、人生が豊かになったということですから、有難い話です。
でも、だからこそこうして特別に日を設けて、出来る限り集中してお念仏をお唱えし、
その功徳を先祖代々あるいは新亡等(今年亡くなった方など)に向けて回向を行います。
このように貞国に倣って御先祖さまや新亡等の恩に報い、またお念仏をお唱えすることで
浄土往生のために功徳を振り向ける大切な法要が、この「お十夜」なのです。
大切な方のことを心に思い浮かべて、ともにご供養の善行を積んで参りましょう。
合掌